読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゴンポリズム

読むこと、観ること、考えること。

斎藤眞『アメリカとは何か』(平凡社ライブラリー)

今回、取り上げるのはアメリカ革命史研究の大家、斎藤眞(1921-2008年)の著書である。戦後日本のアメリカ史研究を牽引した彼の名前は、アメリカ史をかじった読者なら一度は聞いたことがあるだろう。この本は、前々から多くの先生が薦めていてマークしていたのだが、運良くブックオフで買うことが出来た。

 

斎藤眞の著書でごんぽりが最初に読んだのは『アメリカ政治外交史 第二版』(東京大学出版会)だった。学生用テキストとして版を重ねていたのだが、確かに所どころ記述の古さは否めなかった。それでも各時代の要点を的確に捌きながら、著者の立場を要領よく盛り込んだ叙述は、通史にも関わらず最後まで面白く読めた印象がある。脚注にも重要というか、痒いところに手が届く説明が散りばめられ、卒論執筆時に意外と役立った。「斎藤史学」と呼んでも憚られない内容だろう。

 

さて、この『アメリカとは何か』は、9つの小論文ないしエッセイと1つの講演録からなり、内容も独立革命から「明白な運命」、反主知主義ニクソン大統領の辞任まで多義にわたる。どれも研究論文というより、実証性を残しながらも、ときにそれに囚われることなく、自由に論を展開したエッセイばかりである。読みやすく面白い。なにより各章に通底するのは、個別の事象を長い「アメリカ史の文脈」に位置づける姿勢である。章によっては少し大げさな気もしなくはなかったが、逆にアメリカの理念(筆者の言う「自由と統合」)を個々の例を引き合いに出しながら論じたという見方もできる。

 

筆者の専門と論文の時代性を鑑みれば、面白いのは建国・膨張期を論じた前半部分である。巧みな論の展開はしばしば読み手の予想の裏をかきながら、最後は上手く収束させていく。しかし、何か立派な結論を提示するのではなく、適度な議論のほつれを残すことで読み手にさらなる興味と思考を促す。

 

後半の章は、「アメリカ史の文脈」に位置付けるという方法論は分かるものの、少し大雑把で大袈裟な感じがあるかもしれない。しかし、歴史に学び、歴史を使う事こそ我々が歴史書を読む理由だとすれば、このように大局的見地に立ちながら、事象一つひとつの「歴史的意味」を大胆に提示するのは、歴史学本来の役割ではないだろうか。

 

そう考えながらこの本を読み返した時、まさにこの本に、いや斎藤史学に魅了された自分がいた。『政治外交史』を読んだ時に感じた、あの知的興奮を思い出さずにはいられなかった。
アメリカとは何か (平凡社ライブラリー (89))

アメリカとは何か (平凡社ライブラリー (89))