ゴンポリズム

読むこと、観ること、考えること。

「足もとに流れる深い川」『レイモンド・カーヴァー短編集』(カーヴァー) 

 

 久しぶりにレイモンド・カーヴァーを読む。村上春樹訳『レイモンド・カーヴァー傑作選』はどれもなかなか面白いのだが、訳者自身が「一発で見事レイモンド・カーヴァーの世界の中毒に引きずり込まれることになった」という「足もとに流れる深い川(So Much Water So Much Close To Home)」はやはり出色の作品だろう。 この小説の主題は一言では言い表しにくい。明らかに読み手の共感を誘ういくつかの視点がある。それでも根底にあるのは「人生の変化に対する感受性」とでも言えるものだろう。

 心配そうな妻と苛つく夫の会話で始まる冒頭は、夫が休暇中に発見した遺体が理由だ。夫とその友人は、山中の川原で若い女性の全裸遺体を見つける。しかし、彼らは何事も無いかのように遺体のそばで釣りや酒盛りを楽しむ。しかし、どんなに平然を装っていても遺体に無関心ではいられない。しばらくして、遺体が川に流されないように浅瀬まで引きずり、手首を縛って木の根に繋ぐ。死者に対するあまりにもひどい仕打ちであるのは言うまでもない。そして、帰り際に初めて保安官に連絡し事件が発覚するが、その出来事を妻に話すのも帰宅してすぐではない。その翌朝である。

 夫らの一連の行いに、有り体にいえば妻はドン引きする。しかし、物語を読み進めていくと、彼女の違和感は同じ女性としてのシンパシーや女性をモノ同然に扱う夫への不信感だけでなく、もっと深い部分にあることがわかってくる。

 

 二つのことが明らかだった。 ⑴人々はもう、他人の身に何が起ころうが関係ないと思っている。⑵何が起こってもそこにはもう真の変化というものはないのだ。事件が起こった。それでもスチュアートと私のあいだに変化なんてないだろう。私の言っているのは本当の変化のことだ...(中略)...そしてある日事件が起こる。それは何かを変化させてしまうはずの事件だ。それなのに、まわりを見まわしてみれば、そこには変化の兆しはまるでない。(116-117)  

 

   順風満帆なはずの家庭生活に通底するのは、変化の兆しもなくひたすら老いに近づいていく日常である。夫と結婚したその時から自分の未来は決まってしまった。そして、そのうち自分も周りも日々過ぎ去っていく日常にあまりにも鈍感になる。遺体の発見というショッキングな事件でさえ、朝食のちょっとした話題として 片付けられる。そのようなことが繰り返すと、自身のアイデンティティさえ曖昧になっていく。   

 過去はぼんやりとしている。古い日々の上に薄い膜がかぶさってしまっているみたいだ私が経験したと思っていることが本当に私の身に起こったことかどうかさえよくわからない。(117)

 

 しかし、それでも事件の被害者のように、「真の変化」はやってくる。ただ、その兆しを周りが見せることもないし、たとえやってきても前と何かが変わることはない。その恐怖を被害者に重ね合わせたとき、知らないうちに自分が自分の人生を歩んでいるという感覚をなくしていき、気づかないまま一切の無になるのではないかという恐怖に駆られるのである。いつ何時、人生を揺るがす決定的な出来事が起こるかわからない。それは明日かもしれないし10年後かもしれない。知らないうちに「こんな沢山の水が、こんな近くにある(So Much Water So Much Close To Home)」ことになるだろう予感を、彼女だけが感じているし、そのうち感じなくなることを恐れている。

 

 

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)