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ゴンポリズム

読むこと、観ること、考えること。

ラジオの今後

ラジオドラマというものがある。YouTubeにも多くアップされていて、様々な物語を気軽に聴ける。SFから名作文学、創作小説までジャンルは様々で、放送時間も10分程のものから120分を超える長編まで揃う。私は今、そのラジオドラマにハマっている。

この娯楽の優れた点は、再生ボタンさえ押せば何もしなくても内容が伝えられ、さらにその場に応じて別の用事も済ませられることだ。そこがテレビ視聴とは異なるところだろう。しかし、ただ受動的であれば良いのかと言えば、もちろんそうではない。内容を把握し、情景を思い浮かべることは最低限必要だ。それは脳の活性化にも少しばかり貢献する。確かに、ボケ防止にはラジオドラマを聴け、という専門家もいるぐらいだ。

そのラジオ、今後はどうなるのだろうか。かつて、ブラウン菅テレビが家庭での主要なメディアだった時代、ラジオの利点は気軽さ、ハンディさだった。しかし、現在、その役割はスマホタブレットに奪われつつある。「ハンディ・メディア」としての役割は今後ますます後者が担っていくだろう。

しかし、ラジオの未来はそれほど悲観的でもなさそうだ。そもそも、メディアとして情報を得るには、読む・聞く・観るの3つの手段がある。これまで新聞、ラジオ、テレビがそれぞれの役割を担っていた。そして、今後は、スマホタブレットが読む、観るの役割を担うだろう。

聞く(のみの)メディアはどうかといえば、Podcastやラジオアプリの登場でネットとリンクし始めた。つまり、聴覚のみを手段とした情報獲得は、いまだ根強い人気とニーズがあるのだ。

確かにPodcastの登場は革新的だと言って良い。ラジオ局の放送時間、放送枠にとらわれず、多様な人が手軽に配信できる。配信側としても情報を文字に起こしたり、動画を撮ったりすることと違って手間もかからない。

こう考えれば、どれほど映像が鮮やかになっても「聞く文化」は無くならない。たとえ、ラジオ局の縮小が起こったとすれば、それはネット配信を軸とした、「聞くメディア」の新しい形であり、広い意味でその文化は残り続けるのだろう。