ゴンポリズム

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読むこと-観ること-考えること

記憶・青春・人生 ー「中国行きのスロウ・ボート」考察ー

今回レビューするのは『中国行きのスロウ・ボート』表題作だ。村上春樹の短編でもかなり有名な作品だと思うがその割にしっかりしたレビューが少ない、というよりごんぽりと似た考察・解釈があまりなく、一つの参考として紹介したい。

 

この記事では、二つの逸話(「野球の試合」と「中国人の話」)をめぐる「記憶」の意味を示し、この作品のテーマを明らかにしたい。以下、順を追って述べていこう。

「考古学的疑問」の放棄と記憶のパラドックス 

この小説は「最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?」という「考古学的疑問」(9)から出発する。この「考古学的」という言葉が意味するのは、出会ったのがいつだったのか実証的に(ラベルを貼って区分・分析したり、図書館に行ったり)アプローチし、問いに客観的に答えるということだ。しかし、興味深いことに「僕」は図書館の前のにわとり小屋で煙草を吹かしているうちに、そのアプローチを早々諦めてしまう。

 

そして彼はこう告白する。

僕の記憶力はひどく不確かである。それはあまりにも不確かなので、ときどきその不確かさによって何かを証明しているんじゃないかという気がすることさえある。(11)

さらに、

僕の記憶はおそろしくあやふやである。前後が逆になったり、事実と想像が入れ代わったり、ある場合には僕自身の目と他人の目が混じりあったりもしている。そんなものはもう記憶とさえ呼べないかもしれない。(12)

 

しかし、こうやって自身の記憶の不確かさをあらかじめ強調しておきながら、その次の行では、それでも「正確に思い出すことのできる出来事」が二つあるのだと言う。それが小学生の頃の「野球の試合」と「中国人の話」だ。

 

ちなみにここで、「嘘つき(自己言及)のパラドックス」が発生していることは重要だろう。「自分は嘘つきだ」と言った後に「でもこれは真実だ」と言うと前後の内容が矛盾するという古典的問題だが、「僕」の記憶をめぐっても、これと同じ矛盾が起きている。記憶力に自信が無いとこれほど強調する「僕」が、その舌も乾ききらないうちに二つの記憶の信ぴょう性を断言する。

 

これは「僕」が「根拠のない自信家」だからでは決してない。「僕」がこれから語る記憶の本質が、客観的に実証不可能なだけでなく、論理的に表現し得ないものだからだ。非論理的な存在とは、言い換えれば、言葉の表現可能性や観念的な認識の埒外にあるもの、つまり、本来ならば(頭を打たなければ)、意識の表層には現れないもの、現れないゆえに主観的認識を逃れるものだ。

 

「野球の試合」:無意識と「記憶」の意味

このように、「僕」は自分の記憶を語る前に、二つの特徴を挙げる。一つは、それが客観性・実証性に還元されないもの、実際の経験を客観的な事実の記録として積み重ねたものではないものであることだ(「考古学的疑問」の放棄)。もう一つが、本来、それは意識の表層に現れず、自覚と認識を免れているということだ(「自己言及のパラドックス」)。やや抽象論になったが「野球の試合」でもう少し具体的に語られる。

 

このエピソードは、中国人についての記憶を語る前フリとして語られる。小学生の頃、野球の試合で頭をぶつけ、ベンチの上で目が覚めたとき、夢うつつの状態で、ある言葉を発する(「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる。」(13))。「僕」はその言葉を口走った理由も文脈も覚えていない。ぼんやりしたなかで無意識のうちに勝手に言葉が出てしまったからだ。

 

この言葉は、「僕という一人の人間の存在と、僕という一人の人間が辿らねばならぬ道」、「そしてそのような思考が当然到達するはずの一点――死」について考えさせ、さらに、「死はなぜかしら僕に、中国人のことを思い出させる」(13)と言う。

 

「僕」がここで言いたいのは、言葉を発した「僕」という存在の意識下(無意識)に「何か」があり、その「何か」が「僕」をして言葉を言わせた、ということだ。フロイトよろしく、意識下に抑圧されたものが「僕」を行動に駆り立てた。もちろん「僕」の意志でなければ、客観的に確かめることもできない。にも関わらず、それは「一人の人間の存在」を間違いなく規定し、彼の人生を形づくるだろう。「僕」は二つのエピソードを通じて、個人の意識下でその人自身の人生を突き動かすモノの輪郭を描き出そうとする。

 

では、その「何か」とはどのようなものなのか。「埃を払えば…」という言葉と戦後中国を重ね合わせれば、人間の持つ食べ物の執着と生の欲求の片鱗が、発展途上国の生活では、いまだに残っている様子を思い浮かべるのは難しいことではない。そういった基本的欲求も無意識に僕を駆り立てる「何か」だ。

 

青春としての中国と「僕」との関係性

そして、「僕」にとって青春=アドレセンスというものも、まさにそういう類のものだ。3人の中国人とのエピソードを通じて、特に「僕」と中国人との距離関係を描くことで、ひとの意識下に横たわる青春の内実を描き出す。

 

一人目:中国人小学校での模擬テスト。机の前に座り、中国人教師の話を聞く様子は、模擬テストならぬ「模擬授業」を受けている。そんな「僕」は一時的・擬似的に(在日)中国人コミュニティに所属してしまっている。そして、教師から突然質問を当てられた「僕」は、恥ずかしさのあまり緊張し、何度も「沈黙」を繰り返す。「僕」がそれにたじろぎ、言葉を発せられなかったのは、それが青春であることを知らなかったからだ。夢というものが、目が覚めてから初めて夢だと気づくのと同じように、人生における青春とはそれが過ぎ去ってから、ようやく気づくものである。青春の真っ只中にいる当時の「僕」は、それが一体何なのか分からず、ただ沈黙するしかない。

 

二人目:大学生になり大人の階段を上りかけた「僕」はそれが青春だということを自覚し始める。それでも、その楽しいひと時が何度でもやり直せることを信じて疑わない。そうやって楽観的な態度のまま油断しているうちに、一度きりのチャンスを逃してしまう。女の子の「ここは私の居るべき場所じゃない」(36)という言葉は、若者たちの「自分探し」の旅の、永遠にたどり着かない終着駅のようだ。同時に青春それ自体が、このとき既に「僕」から遠ざかりかけていることを示している。

 

三人目:28歳になった「僕」は既に青春を忘れている。その関係性が、中国人営業マンを旧友だと思い出すことに時間がかかる描写と重ねられる。ただし、たとえ思い出したとしても、彼と「僕」との関係はあくまでビジネスライクな関係であって、本来の関係ではない。青春とは不可逆的な変化を免れない。

 

そして、30歳を過ぎた「僕」は在りし日には決して戻れないことにようやく気づくことになる。若さ、無垢さとしての青春からどれだけ「僕」は離れてしまったのか、その離れたこの場所=東京は一体どこなのか、自分自身に問うた時、今いる場所のリアリティは崩れ去る。「僕」はこんな場所にいたはずではなかったと、ありし日の場所(中国)を求めてしまう。

 

しかし、繰り返すが、もはやその場所には戻ることはかなわない。そんな「僕」がとる態度は、自分がかつていたはずの中国、理想像としての中国がこの世界のどこかにあるのだと信じ、そこへたどり着ける「中国行きのスロウ・ボート」を待ち続けるだけだ。「絞首台を恐れぬ」「革命家」(51)のように、たとえそれがフィクショナルな理想(イデア)的観念であり、現実に存在しなかったとしても、それゆえ、バッドエンドは初めから運命づけられていたのだとしても、「僕」は死の瞬間までひたむきに求め続けるのである。

 

そういった「僕」の態度は、「誤謬」を「逆説的」(つまりは自覚的)に犯し続けることにほかならない。しかし、それこそ青春のもつパラドキシカルな性質であり、同時に、「僕」の人生を自己存在の根っこのところで規定するのである。

 

ちなみに:3人の中国人は存在したのか 

作品で登場する3人の中国人について、その記憶の不確かさを最もラディカルに解釈すれば、中国人なんて存在しなかったのでは?とも読める。例えば、中国人小学校での模擬テスト。ハルキ文学をよく読む読者にはこの描写に「異界」のモチーフを感じるだろうし、そういった解釈も可能だろう。確かにそれも一つの着眼点だが、その後の場面に注目してほしい。高校3年生のときに同じ会場でテストを受けたと言う女の子の、そんな昔のことなど「思い出せない」(24)という言うセリフは、「僕」とは非常に対照的だ。「僕」も認めるように「彼女の方がまとも」(24)なのである。だとすれば、なぜ記憶の不確かな「僕」だけが覚えているのだろうか。まともな彼女とまともじゃない「僕」の違いは、中国人教師は本当に「模擬授業」を行ったのかという問いにスライドしていく。

 

大学生2年生の春に会った中国人女子学生も同様だ。デートの帰り、彼女の電話番号を記した紙マッチを「間違えて」捨ててしまう。電話番号を一生懸命調べるが、結局分からず仕舞い、彼女ともそれきり会えないで終わる。何故かといえば、そもそもそのような女の子と仲良くなったりデートした記憶は「僕」の妄想か幻だったからかもしれない(妄想癖かそれともホラーか…)。

 

最後、28歳の頃に会った中国人営業マンはもう少し興味深い。というのも、喫茶店で見知らぬ男に話しかけられた「僕」は、はじめ彼が誰だか分からなかった。ようやく途中で高校時代の友人の名前を言うけれども、当の本人は決定的な反応を示してはいない。高校卒業後のことを聞いた際には「とても長くて薄暗くて平凡な話なんだ。きっと聞かないほうがいいよ。」(46)とはぐらかされてしまう。

 

さらに、営業マンとして百科事典を売りつけられるのではないかと警戒した「僕」に、中国人専門に商売していること、そして彼らが「同胞のよしみ」(46)で買ってくれることを話し、僕を安心させる。けれども、結局、「僕」自身も高校時代の「よしみ」でカタログを取り寄せてしまう。彼のセールストークにまんまとハマってしまったという訳だ(洗練されたオレオレ詐欺のようだ)。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

 

 

書評:鈴木透『食の実験場 アメリカ ファーストフード帝国のゆくえ』

 本書はアメリカの食文化の入門書だ。
そもそもアメリカの食文化と聞いてどのようなイメージを持つだろうか。マクドナルドやケンタッキー、ポップコーン、フライドチキン、コカ・コーラ...。そんなジャンクフードばかりが目立つアメリカでは、むしろ食文化の乏しさを想像する人も多いだろう。例えば、日本・仏・中華のような、高級料理から大衆料理、家庭料理と続く層の厚さをアメリカ料理から思い浮かべることはあまりない。
 しかしその一方、ファーストフードに代表されるアメリカ発祥の料理が私たちの食文化にとって無視できない存在であるのも事実だ。そんな身近なようで案外知らないアメリカ食文化を歴史的に外観し、ファーストフードの起源と現在をまとめたのが本書だ。

内容

 ここでは第1章と第2章を中心に植民地時代から現代ファストフードの成立までを書き記しておきたい。
 

 植民地時代から建国期のアメリカでは、西洋諸国の料理、インディアン料理、アフリカ黒人料理が2つもしくはそれ以上の組み合わせで混じり合い、独自のアメリカ料理が生まれた。例えば南部クレオール料理のジャンバラヤはインディアン由来のトマト・スパイスと一時期ニューオーリンズを占領した西のパエリアが混ざったものだ。また、フライドチキンはスコットランドの鶏を揚げる調理法とアフリカ黒人のスパイスが組み合わさったものだ。
 

 さらに、アメリカ革命が起きると、植民地ごとに異なった人種組み合わせを維持しながら、ボストン茶会事件における紅茶不買運動のように、13植民地にナショナルな規模で飲み物文化(コーヒー、バーボン、ビール)が生み出されていく。それ以後、ローカル(各植民地=州)、インターナショナル(人種)、ナショナル(連邦)の並立の上に食文化を発展させていく(65-66)。
 

 南北戦争以後、そのような「混血料理」はさらに多様化しながら、産業化による利便性の追求によって新たな食の技術開発と料理の発明が促された。トマトケチャップやベーグル、ハンバーガーなどはクレオールないしエスニックフードでありながらもそういった産業社会における安さ・早さを追求した料理として全国的に発展していく。それは同時に食の標準化・画一化を必然的に推し進めるものであった。
 

 一方産業社会における健康と食の安全性の問題からコカ・コーラケロッグ社のシリアルが台頭していく。それでも飽くことなき利便性の追求によってマクドナルドのようなフランチャイズ方式が出来上がり、アメリカのファーストフード文化が成立する。
 

  本書後半の第3章、第4章では1960・70年代ヒッピーによる食の安全意識が、一方では健康(ヘルシー)意識を喚起し、他方、非西洋のエスニックフードの発展を促したことが述べられる。そして最後、ファーストフードに関連した格差社会や肥満の問題、大規模アグリビジネスに挑戦するCSA(地域支援型農業)が述べられる。

 アメリカの食文化観

 こうしてアメリカのファーストフードの起源と成立を眺めたとき、まず感じるのは食における伝統意識の希薄さだ。それはもちろん白人の移民たちが旧大陸の宗教的・社会的伝統から「脱出」してきたという事情が密接に関わっているからだろうし、まさしくアメリカ建国のインセンティブである。柴田元幸の言葉を借りれば、「現実とはアメリカにおける半分でしかない。あとの半分は、いまだ達成されていない理想」なのだ(『アメリカン・ナルシス』あとがき)。そして、アメリカの食文化を考えるとき、この視点は非常に示唆的であると思う。

 

 例えば、日本の「食文化」と聞くと、なんとなくそこに伝統を感じることが多いのではないだろうか。たいていの場合、日本の食文化は伝統文化の(ときに重要な)一側面とみなされる。しかし、そうした食文化観が前提とするのは、「文化」を過去から現代まで変わらず続く伝統と同一視し、そこに純粋培養されたような不変的な何かを見出そうとする本質主義的発想だ。当然、食に限らずどの国のどの文化もその初めから全く同質であり続けることはない。それにも関わらず不変性、ないしは不変に「見えること」は文化を語るうえで、しばしば重要な判断材料とみなされる。

 

 例えば、日本の握り寿司は江戸時代、おにぎりと同じぐらいのサイズだったと言う。勿論、シャリに空気を含ませるあの握り方もまだ存在せず、別物とさえ言えるかもしれない。一方、今でこそ伝統文化と対照的に語られるファーストフードも、フライドチキンのように植民地時代からの歴史を持つのであれば、伝統的ではないとどうして言えるだろうか。

 

 アメリカ食文化の「非」伝統性は伝統がないという意味では決してない。各々の移民が故郷で蓄えてきた食のノウハウが歴史的に考えても日本より劣っているはずはないからだ。いくつもの人種民族が集まるのなら尚更である。そう考えると、彼らが抱く伝統意識の希薄さとは、裏返せば、食文化の可能性に対する自覚、すなわち、食文化の雑種性や時代変化に対する自覚ではないだろうか。筆者が「食の実験場」と言うとき、そういった意味を考えずにはいられない。

 

アメリカ食文化の担い手

 ただ同時に、そのような食文化観を実生活で支えた社会構造も重要だろう。すなわち、南部では黒人奴隷制を、中西部ではインディアン討伐を行う過程で、一見人種関係の固定や人種の殲滅を意図しながらも、実際は下層階級を中心に人種や文化が多分に混ざり合うこととなった。筆者も指摘するように、白人移民がそれまでの食文化を続けるのに必要な農作物が新大陸には少なかったことや、初期白人移民の多くが商人や投機家であり、農業の知識が乏しく、食事の献立を主に黒人奴隷が決めていたことも食文化の「混血」を促した要因だろう。
 

 そういった社会の底辺(周辺)で起こった人種の横断は背に腹は変えられない経済的な事情ゆえとも言える。彼らにとって伝統とは頑なに守る必然性もなければ、それで腹が膨れる訳でもない。そんな切実な境遇が伝統意識の低さと人種横断的な食文化を促したのではないだろうか。
 

 そのように見ると筆者が「食の実験場」と呼ぶ食文化の土台は、WASPと呼ばれる主流派の白人というより、主流社会の周辺にいた人々によって築き上げられたと言えるだろう。それはあたかも、1950年代南部の下層白人が黒人音楽を取り入れロックンロールを生んだのと同じように。
 

 現代でもアメリカのファーストフード文化を動かしているのは下層階級の人々だ。貧困層が安さゆえにファストフードを選ぶという経済格差と健康格差の問題を孕みながらも、アメリカの食文化を作り上げてきたのが洗練された上流階級や一流シェフではないという事実は、アメリカ文化を考える上でとても重要な視点であると思う。


さいごに

 本書はアメリカ食文化の歴史と現在を、「ファーストフード」をキーワードにコンパクトかつ要領よくまとめた良書だ。しかし、だからこそ腰を据えて読んだ時、不満が全くないわけではない。例えば、筆者が冒頭とあとがきで触れる、食をめぐる「記憶」ないしは「メモリースタディーズ」の問題は結局肩透かしに終わる。現代的なファーストフードが成立して1世紀ほど経つが、アメリカ人がそれについてどう思い、彼らのアイデンティティといかに結びついているのか、「ジャンク」に対比された「ヘルシー」や「エスニック」という構図だけでなく、「ジャンク」それ自体をどう認識し、アメリカの伝統に「記憶」として位置づけるのか、そういう点もやはり気になるところだ。現代に至る歴史を概観するのであれば、そのような問題に若干でも触れるべき段階にファーストフード研究史は入っているだろう。新書という枠を超えた範囲かもしれないし、ある種の無い物ねだりではあるが、続刊があればぜひ知りたい。

書評:多和田葉子『献灯使』

 今年の全米図書賞(翻訳文学賞)を受賞した話題作『献灯使』を手に入れた。手に入れた、というのはYahoo!ニュースで受賞が報道された翌日、都内丸善ジュンク堂系列の書店で本書がほぼ売り切れになり、すんでのところで丸善某店にて取り置きできたからだ。芥川賞をはじめ国内の文学賞を総ナメにしている多和田葉子だが、一般受けしている作家と言い難いのは、今回の品薄状態からも見て取れる。しかし、そうは言ってもあの全米図書賞受賞である。今後この状況も変わっていくだろう。同じ早稲田文学部出身の村上春樹は、文学的評価が海外から「逆輸入」されたが、多和田葉子の場合は、それと同時に大衆への受容も逆輸入されたように思える。

 

 本書はいわゆる「震災後文学」と呼ばれる小説の一つだ。震災後、このジャンルが流行っていたのは知っていたが、これまでどうも触手が伸びなかった。

 

 そもそも震災後文学とは不思議な響きで、どこか戦後文学を思わせる。しかし、後者が戦争の悲惨さや人類の実存を文学的極限まで高め、一つの政治イデオロギーとして機能するのに比べ、前者はそのような芯のある強さを感じさせない。確かに、何らかのイメージ(日常や常識の瓦解、人知を超えた自然への畏怖、人との絆)を想起させるのには十分だろう。それでも、誤解を恐れず言えば、2万人近くの犠牲者を出した3.11でさえも、先の太平洋戦争と比べれば数字の上では見劣りしてしまうし、国家、社会を根底から変えたとは言い難い。ゆえに震災後文学という言葉を聞いたとき、果たして戦後文学の二番煎じを超える何か別の問題意識を持ち得るのだろうか、と考えずにはいられなかった。

 

 今回、『献灯使』を読んでまず感じたのはそういった震災後文学というジャンルの、つかみどころの無さである。震災直後の「絆」や「トモダチ」のような、散々メディアで流れた紋切り型の問題意識は本書にはない。むしろ、私たちはそういった安っぽいクリシェ(安全・信頼)にこそ、これまで騙されてきたのであって、明確な加害者が不在であるがゆえのやり場のない気持ちが収まるのを、ただ辛抱して待つしかない。そもそも、あの災害は天災ではなく人災ではないのか。そして、歴史に深く刻まれる教訓足り得るのか、それとも、今後も繰り返される大地震の一つに過ぎないのか。そういった答えの出ない問いに、依然苦しみ続ける人がいることを忘れてはいけない。

 

 言い換えれば、震災を経験した私たちは二重の意味で言葉から解放された。それは、言葉の表現可能性さえ超えたカタストロフィを経験したという意味においてだけでなく、言葉の分かりやすさで塗り固められた幻想からも放り出されたということだ。仮に震災後文学の意義が問われるとすれば、震災後に私たちが身を置く、言葉ならざるカオスを文学は表現し得るのか、あるいは、そのような行為によって、あくまで新たな語彙を用いながら、震災以前とは異なった社会を築き得るのか、ということではないかと思う。あくまで「震災『後』文学」は「震災文学」と同義ではないのだ。

 

 震災のような非常時では、言葉そのものが置き去りになる。誰も表現しきれない自然の破壊力、目に見えず、実態の掴めない放射能の恐怖、一般人の理解をはるかに超える専門知識。様々な条件が言葉を裏切り、カオスを生む。しかしだからこそ、そういった「言葉ならざるもの(得体のしれない何か)」を必死に理解しようと、かえって言葉自体に敏感になってしまう。 当時の私たちは、ただひたすらメディアの伝える情報に耳を傾けるしかなかった。限られたニュースから最大限の意味を見出そうと、他のいつにも増して一語一語を噛み締めていた。言葉の「安全神話」に騙されたことをつい最近知ったばかりにも関わらず、まさにその同じ耳で、他人の言葉にしがみついていたのだ。

 

 そういった敏感さの背後には、言葉が社会を作る、というソシュール的な決意も多少はあるかもしれないが、むしろ言霊のような宗教的期待に近いものがあるのだと思う。結局、それらは客観的には言葉遊びに終わってしまうのかもしれない。それでも神様(言霊)の存在をどこか感じることで、今いる環境から一歩引き、物事をよりメタ的に眺める余裕を生み出してくれるだろう。

 

 『献灯使』でも、その破滅的な状況設定に関わらず、クスリと冗談めいた発想(「亜阿片」「御婦裸淫」等々)によって、義郎を取り巻く人々は心穏やかに感じられる。確かに、一方では英語の使用が禁止されて言葉が廃れていくが、他方では当て字を使うことで元の横文字に新たな含みが生まれる。そういった言葉の変化や含みに何か自覚的な意味などないのかもしれない。それでも、その一つひとつの積み重ねが社会をどこか良い方向へ導いてくれるのではないか、という素朴な期待と希望がそこにはあるのだ。

 

 表題にもなっている「献灯使」という言葉も同様だ。「無名」が選ばれたこの仕事はどういう役割を担うのかほとんど分からずに終わる。海外へ密航し、彼の研究データを提供することで日本の発展を願うのだが、その重要性や影響は全く触れられない。それでも中国への遣唐使と重ねながら、「灯を献げる」ことの意味を想像しても面白い。結局、私たちは(作中の人物たちも)社会や倫理がどれほど引っくり返ろうが、言葉なしには生きていけない。

 

アメリカの小説家コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』も放射能で崩壊した世紀末の様子やそこでの親子関係を描いている。しかし、本書とは対照的に、言葉少なげに道なき道を命懸けで歩んでいき、言葉が戯れる余裕などない。どちらがSFとしてリアルかは分からないが、日本的な感性と表現ゆえに、非常に訳しにくい『献灯使』が翻訳文学部門として受賞したことは驚きに値する。

 

 

献灯使 (講談社文庫)

献灯使 (講談社文庫)

 

 

考察:セカイ系としての『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート)

アニメ『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート)の感想・考察を書きたい。元々この作品は2009年に発売されたXbox360版ゲームソフトが原作らしく、2011年にアニメ化された。当時、同時期の『魔法少女まどか☆マギカ』とともにスマッシュヒットとなった有名なアニメだ。今年4月からはスピンオフアニメの『STEINS;GATE 0』(シュタインズ・ゲートゼロ)が放映されているらしい。

 

 この作品、どのような話かというと、中二病全開の主人公(岡部倫太郎)が、友人のダルとともに電子レンジと携帯を組み合わせてみたら、偶然タイムマシンのような現象を発見してしまい、中二病的な陰謀に本当に巻き込まれてしまう、という話だ。ヒロインの天才少女(紅莉栖)とともに、この奇妙な現象を解明していく中で、過去にメールが送れること、そしてそれを応用すれば使用者が記憶を過去に送るという形で、過去へタイムリープできることがわかる。

 

 しかし、ダルがSERN(欧州原子核研究機構)にハッキングしたことが原因で、この組織が秘密裏に研究していたタイムマシン開発の成果を知ってしまい、組織から命を狙われる。この時間軸(α世界線)では最終的に幼馴染のまゆりが死んでしまうことがわかると、岡部達が実験のため無邪気に行った過去改変を一つずつ元に戻し、危険なα世界線からもともといたβ世界線を目指す。しかし、そのβ世界線では今度は紅莉栖が死んでしまうことが判明する。最終話近く、β世界線で打ちひしがれていると、この世界線上にいる未来の岡部の助けで鈴羽(ダルの娘)がタイムマシンを使いやって来る。そして、α世界線でもβ世界線でもない第三の選択、シュタインズ・ゲートへの道のりが示され、岡部はこのシュタインズ・ゲートを目指し、最終話で鮮やかな過去改変をやってみせる。

 

 大雑把に要約してみたが、アニメにも関わらず、かなり綿密な設定のハードSFだ。全24話ある物語中、何度も繰り返しタイムリープしながら前半の様々な伏線を回収していく。一度見ただけでは細部まで理解しにくいが、大きな時間軸は3本と少なく、主人公の目的も明確なので、あまり深く考えずに物語を楽しむことができる。

 

 秋葉原が舞台なだけあってこの作品はオタク要素に溢れている。例えば、ダルという人物は、太っていてパソコン好きでネット用語を多用する、という典型的なオタクのイメージを体現している。ある意味、中二病の岡部とともに「痛い」人を特徴的に描いてるわけだが、それはあくまでネタであり、同時にこういった人々の願望も描くことで自己批判を免れてもいる。岡部には幼馴染のまゆりがいつもそばにいるだけでなく、α世界線では女子であるるかやメイド喫茶で働くフェイリスに片思いされ、最後には紅莉栖と結ばれる。オタクのダルも将来結婚できることがわかる。また、中二病の岡部は、α世界線の将来、ディストピアとなった世界でレジスタンスを組織し、ダルも持ち前の知識でタイムマシンを開発する。彼らの趣味嗜好が世界を救うために昇華されるのだ。

 

 それでも主人公の岡部は、α・β世界線からシュタインズ・ゲートに移動し、最後には中二病を卒業する。また、β世界線の記憶を持つ岡部と話したα世界線の登場人物たちは、時間改変前の記憶をぼんやりながら思い出し、この世界線が正しくないことを悟る。有り得たかもしれない世界線への憧れを感じながらも、大切な人を救うためにはトゥルーエンド(正しい世界線)へ向かうことが不可欠であり、あくまで物語は一本道なのだ。

 

 そのように観ると、この物語は19歳の岡部が経験する一夏の出来事として、十代最後の淡い思い出を感じさせる(第22話)。そして、その残酷な経験にも関わらず、いや、むしろ残酷であればあるほど、α・β世界線として行き着く袋小路からの脱出=脱皮は、モラトリアム的十代からの卒業と大人への通過儀礼として、彼の前に立ちはだかる。ここに、「十代最後のセカイ系」と言えるような側面を、物語から見いだせるのではないだろうか。

 

 東浩紀の有名な定義によれば、セカイ系とは、「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」だ。そして、この定義はタイムリープ作品と非常に親和性が高い。当たり前だが、タイムリープとは世界改変(危機)の一つであり、あとは「具体的な中間項」に乏しい十代の主人公と、その彼が強く影響を受けるヒロインを登場させれば簡単に出来上がるからだ。

 

 ちなみに、岡部が設定として持つ中二病も、自分が世界の陰謀と大した根拠(具体的な中間項)もなく関係しているという妄想を意味する。前半では陰謀が実際に起きるための、後半ではモラトリアム卒業の指標として、重要な伏線になっている。中二病というネタを上手く利用した、よく考えられた設定である。

 

 そして、先述した、物語が辿る一本道は学校や社会という中間項にコミットするためではなく、あくまで岡部の内面的な自己成長へと繋がっている。彼はα世界線で世界がディストピアになったり、β世界線第三次世界大戦がおこり57億人が犠牲になったりすることを重視しない。あくまでも、まゆりと紅莉栖を救うために世界線を変えるのだ。

 

 だが、岡部がそういった閉塞から脱出するためには、相応の痛みを引き受ける必要があった。というのも、タイムリープを繰り返し、何十回とまゆりの死を目撃するうちに、彼は他人の死に鈍感になっていくからだ。19話では、その世界線における彼女の死の「正確なデッドライン」を知るため、あえて彼女を見殺しにしてみせる。まゆりの最後に立ち会った紅莉栖の震え声を聞きながら、冷静に時計を確認する場面は印象的だ。

 

 そのようなタイムリープの弊害を乗り越えたのが、最終話、シュタインズ・ゲートに移るための過去改変作業だった。岡部は、紅莉栖の死を偽装するために自らナイフで刺され、その血を利用する。自身の体液を彼女にかける行為を新たな世界線=人々を創造するための隠喩表現とみなすのは、決して深読みではないだろう。この儀式によって、タイムリープを繰り返した神のような存在から生身の人間に生まれ変わり、彼は再び生の感覚を取り戻すのである。

 

 このように作品を眺めたとき、ここにセカイ系に対する批判の応答を読み取ることができるのではないだろうか。それは、具体的な中間項なしに人は成長し得るか、という問題である。『エヴァンゲリオン』のように逃げることなく、『ぼくらの』のように殉死に終わることなく、もちろん『涼宮ハルヒ』のように学校に適応することなく、岡部は生きることへの確かな手応えを掴んでみせたのではないだろうか。言い換えれば、SFやオタク世界というサブカルチャーにどっぷり浸かった人々を、彼らの嗜好を最大限に利用し、同時に彼らの自尊心を傷つけることなく、いかに彼らを目覚めさせるか、ということを問うていたように思う。中二病やタイムマシンが好きなら一度存分に体験してみれば良い、そして、君は最後に何を得ただろうか。そういったメッセージが『シュタゲ』からは読み取れるのだ。

 

 

書評:東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』

 先日、オウム真理教幹部の死刑が執行された。あの出来事で僕が感じたのは、死刑がリアルタイムで進んでいく異常なまでのショー的演出だけでなく、複雑な喪失感だった。というのも、1990年前後に生まれた人々にとってオウム真理教という事件は独特のニュアンスを持っているからだ。私たちの世代は、オウム真理教がメディアに(色物扱いながらも)登場し、国選に打って出た90年代前半から、地下鉄サリン事件が起きた95年までをほとんど知らない。しかし、物心つき始めた頃とちょうど時を同じくして教団が解体し、メディア全体にわたる凄まじいバッシングを観てきた。幼心にも一連の事件が日本全体に与えた影響を感じていたように思う。麻原は私たちにとってその初めから死刑囚であって、その彼がついにいなくなる日が来ることなど想像さえできなかった。

 

 しかし、誤解してほしくないのは、その喪失感は彼らへの関心というより、彼らに象徴される時代への関心ゆえである。90年代初めの冷戦の終結バブル崩壊、それによる「大きな物語」の終焉という、現代まで続く政治、経済、社会的な状況の負の側面を一身に象徴したのが彼らであり、1995年の地下鉄サリン事件だった。同年に起きた阪神淡路大震災と合わせて、この年が現代日本で決定的な意味を持つことは多くの人々に指摘されている。ある意味、ゼロ年代テン年代は「1995年」を中心とする様々な問題をどう解決するか、ということを問われた、後始末的な時代だったと思う。

 

 そして、そのような後始末を要求される世代を描いた作品が2011年のアニメ『輪るピングドラム』だろう。オウム真理教地下鉄サリン事件をモデルにして、1995年に地下鉄爆破事件を起こしたテロ組織幹部の子ども達が、その後、親の罪を自分たちの原罪としてどう引き受けるかを描いている。過剰で難解な隠喩的表現が主題を表現する上で成功しているかどうかは分からないが、少女アニメのようなカラフルで可愛らしい色使いと世界観によってコーティングされた物語には、視聴者層への演出という意味以上に、新興宗教に対するタブーの根深さを感じずにはいられない。結局、最終話では世界線を変更することで(生まれ変わることで)問題を解決する展開も、袋小路に陥った現代社会を象徴している。そのような現状を考える上でも、この作品はもっと注目されてしかるべきだと思うが、現代日本の純文学とサブカルチャーとの断絶からして難しいかもしれない。

 

 話が長くなったが、そのような現代のサブカルチャー作品(特にラノベ美少女ゲーム)をどう評価するか、という方法論を提示したのが東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』だ。東らしく沢山の概念装置を前半で提示していき、独自の議論を進めていく。詳しく紹介はしないが、例えば、既存の純文学を創作・批評する視点である「自然主義的リアリズム」に対比され、サブカルチャーの作品の文学性を測る主題的な視点として「まんが・アニメ的リアリズム」と「ゲーム的リアリズム」を提示する(前者は大塚英志の議論の紹介、補強である)。また、読者や作品、作者との市場や読解での関係を「想像力の環境」と呼び、それを踏まえた「環境分析」という構造的な視点も提示する。

 

 前著の『動物化するポストモダン』と合わせて、サブカルチャーの作品を理解する上で重要な地平を切り開いたように思う。しかし、決して疑問がないわけでもない。例えば本の題名にもなっている「ゲーム的リアリズム」という視点は、前半に最も力点が置かれる「まんが・アニメ的リアリズム」の紹介の後、付け足しのような形で提示される。題名にするほどの比重は無く、さらに言えばこの概念は、大塚の議論を踏まえることなく前著の「データベース消費」から容易に導き出されるように思う。また、その方法論を実際に利用した『All You Need Is Kill』の解釈もタイムループものの作品ではどこか聞いたことのある内容で、新たな概念装置を提示するほどの奇抜さはない。

 

 また、「自然主義的リアリズム」という定義も疑問である。東はサブカルチャー作品と既存の純文学作品との対比を強調するあまり、非常に素朴な意味でこの言葉を使うが、純文学や文学批評はもっと多様な文学理論を既に持っている。例えば、近代文学の特徴の一つとされる言葉と現実との「透明」な関係に関して、言葉の難解さを用いて、両者の間に意図的な障害を作り上げたロシア・フォルマリズムを思い出す人は多いだろう。また、そこから発展した、イェール学派を代表とする構造主義的読解もメタ物語性や(行為遂行的読解という意味で)環境分析の視点を持っている(東の言う「環境」は具体的な市場だけでなく、読者や作者、作品との関係そのものを空間的に例える場合も多い)。

 

 東の言う「ポストモダン」という言葉は大きな物語の終焉とそれによる何らかの影響という以上のことを意味しないが、この言葉を使うのであれば(もしく東の学問的背景からすれば)、柄谷行人の議論を援用しサブカルチャーと明治期の文学をそれこそ「タイムスリップ」的に繋げるのではなく、こうした構造主義的批評との結節点を踏まえた方が説得力がある。

 

 本書の批評を「メタ批評」すると、現代思想との学問的繋がりを軽視したり、純文学との断絶(ディスコミュニケーション)を強調する自閉的な態度は、オタクに関する研究に関わらず、オタク的な特徴が既に含まれているように思う。それでもサブカルチャーをより理論的に知るには興味深い本であることは間違いない。

 

 

 

ある友人の死について

 今日、僕が書くのはとても個人的な内容、ある友人の死に関する話だ。

 

 大学を卒業してこの春で2年が経ち、学生時代の記憶も次第にぼんやりしてきた。最近、高校・大学時代をふと思い出すことがあって、ようやくあの頃を冷静に振り返ることができるようになった。同時に、自分のなかでその時期を改めて総括し、一区切りつけたくもなった。そこで一つの試みとして、村上春樹の『ノルウェイの森』を手に取り、ここ数日読みふけっていた。

 

 しかし、小説を読み進めていくうちに、この6年間、僕の心の中にずっと残っていた言葉にし難いしこりのようなものが次第に大きくなっていき、目を背けていたある記憶と思いを整理せざるを得なくなった。これから綴る内容は、僕に語る資格があるのかという気持ちもあって、言葉にするのをずっと躊躇ってきたことだ。それが、友人の自殺をめぐる話だ。

 

 大学1年の5月、同じ大学に進んだ高校時代の友人から同級生(以下、Kと呼ぶ)が自殺したことを聞いた。Kとは高校2・3年の2年間、同じクラスだった。その頃の僕はろくに高校に行かず、自宅やマックで本を読み耽っていてほとんど留年するところだったので、クラスメイトからもちょっと変わった目で見られていたと思う。

 

 それでも僕が通っていた高校は全国でも名の知れた進学校で、校風もとても自由だった。何よりクラスメイトのほとんどが、自分とは違う種類の人をそっとしておいてくれるだけの大人びた優しさと雰囲気の良さを持っていた。それゆえ、いわゆる「スクールカースト」と呼ばれる類の問題は、ほとんど存在する余地さえ無かったと思う。

 

 そんな優しさと活気と幾分のユーモアに満ちた雰囲気の場所にKがいた。彼は上品そうな整った顔立ちと澄んだ瞳をした好青年だった。例えば、第一印象で女の子の視線を集めることはなくても、間違いなくクラスに一人、二人、隠れたファン(おそらく大人しめの女の子だろう)をもつようなタイプだった。少し真面目すぎるところがあって、時々はっちゃけようとしても最後の一歩が踏み出せない、そしてその気恥ずかしさが見ている方にも伝わってきた。それでも、伝統ある高校の応援団長を務めるほど秘めた熱意を感じさせたし、運動神経も良かった。

 

 フットサルをしていた時の彼の姿は、今でもはっきりと思い出す。ボールを蹴る時の独特のフォーム(両手を身体の横で広げて、重心を高く保ったまま、インサイドに近い形でボールをすくい上げた)は、とてもかっこよかった。そして何より、常に丁寧かつ献身的なプレーを見せてくれて、試合中での自分の役割を本当に良く理解していた。

 

 僕とKとは親友と呼べるような仲では無かったが、時々僕が学校に来れたのも、彼のような生徒がクラスにいたからだ。久しぶりに教室に入ったとき、さりげない無関心さを装いながらも、わずかに微笑んで迎え入れてくれる。そして、ここ最近の授業内容を嫌な顔一つせずに教えてくれる。僕が彼に抜きん出る点は何一つ無かったのに、決して僕の自尊心を傷つけることはしなかった。彼はクラスで人一倍存在感を出す生徒では無かったけれど、むしろそれゆえに、クラスの優しさを体現していた。

 

 それでも、正直に語ると、当時の僕はKに何らかの恩を感じていたわけでは決してなかった。ただ、僕がKに親近感を抱いたのは、彼が時々垣間見せた心の不安定さに、次第に気が付くようになったからだ。その時の僕は、それを上手く表現できなかったが、大人になった今は分かるような気がする。つまり、あるべき姿や感受性、自己認識などが常に心のなかでひしめいていて、その一つひとつを雑に扱いきれない実直さと繊細さが、頭と心でズレをきたしていき、自身の精神を少しずつ傷つけていく、そのような不安定さではないかと思う。

 

 それを十代特有の自意識の問題として片付けるのは容易い。だが、問題は、そういう不安定さを外に発散させることなく、自身の中にひたすら溜め続けていって、自意識を際限なく拡げてしまう人がいるということだ。そして、たとえ十代の問題意識が大人になって和らいだとしても、心の自閉的な癖が変わらなければ、問題は一層深刻さを帯びるに違いない。当時の僕は彼のそういった部分に間違いなく共感していた。何故なら、僕自身も同じ問題を抱えていたからだ。ただ、その本質を理解するだけの表現力と経験を持ち合わせていなかった。

 

 Kは一年間の浪人の後、関東にある国公立大学の医学部に進学し、その一ヶ月後、森の中で発見された。彼が何を引き金に自殺したのかは分からない。さらに言えば、僕がKに共感した点が自殺の背景にあったと言いたいわけでもない。僕が彼と同じ立場なら「勝手に分かった気になるな」と思うだろう。

 

 これまで、彼の死とどう向き合えば良いのか分からなかったのは、僕の中で彼の記憶についての葛藤があったからだと思う。それをあえて説明すればこういうことだ。彼を思い出そうとする。彼を忘れないことが僕に唯一できることだからだ。しかし、自殺した人を思い出すということは、彼を20年生きた人としてでなく、20年目に死んだ人として思い出すということだ。僕の彼の認識は、彼を思い浮かべる瞬間に、彼の生きた重み自体を軽んじてしまいそうになる。ある一方では、彼の最期は彼の魅力に比べれば小さな要素だ、と思いたい気持ちがあり、他方で、なぜ彼は自殺したのか、自殺しなければいけなかったのか、と答えの出ない問いをひたすら繰り返す気持ちがある。そのような混乱に悩みながら、少しずつ彼のことを忘れていってしまう罪悪感がさらに僕を苦しめる。自殺を記憶するとはこういうことだと思う。

 

 僕は間違いなく彼に救われた。僕は高校を卒業できたし、その後の大学生活はそれまでの人生で最も楽しかった。ただ、この6年間、一人で考え事をしていると、時々、知らぬ間にKの事を思い出してきた。僕は彼に後ろめたさを感じているのかもしれない。そして出来ることなら、彼に言いたい。何も心配することはなかったんだと。